タロットカードとレオナルド・ダビンチ
ん?
レオナルド・ダビンチのデッサン画を使って作られたタロット。
の、方が正しいかな?
以前、
レオナルドダビンチに憧れて
それこそ、むさぼり調べていたときに古本屋さんで見つけたもの。
憧れていた理由は、先日ブログ【芸術家への道】でご紹介いたしました。一度目は
「見なかったことにしよう」と買わずに帰りました。
古本屋さんと言う場所柄、回転が速く、気に入った本でも
次に行った時は大体無かったりするもんですから買わないことを心に決めてたんです。
ところが、
二度目は「まだあるんだ…」と
三度目は「へ〜…あるんだ…」と
四度目は「次あったらあきらめて買おうかなぁ…」
そして五度目にあきらめて買いました。
なぜ「あきらめて」なのかというと
こういう占いのジャンルからは「遠のこう」と思っていたから。
『ステンド屋』で看板挙げましたから
現実の他の一切を排除した時期がございました。
私の性格が極端なのでしょう。
「ステンド屋」なので「ステンド一色」という発想です。
タロットカードは
小学校の高学年から〜高校生のときに、占いブームに乗って
随分タロットを活用してたときがありました。
その時のデッキはこれではなく
お菓子の懸賞に出したところ当たった大アルカナのみ、のデッキ。
↑当時はタロットカードが賞品になってしまうほど占いがブームだったんですよ。
その事は2007年に占いの記事を書いてました。お菓子の懸賞で「タロットカード」が当たったこと自体を
本来、喜ぶところだったのですが
欲しいイラストレーターの物ではなかったので
ガッカリした記憶があります…欲深いですね(^^ゞ
とはいえ、
手にすれば遊びたくなるのは心情。
中学のときに仲のいいお友達相手に経験をつんだ後
高校に入ってからは
休み時間にお友達のさまざまな質問内容に合った答えを返したとかで
感動してもらった記憶があります。
自分で自分を占うときは、お風呂に入った後、夜中の0時または2時。
神経を集中させてからカードを触ってました。
考えによって、見方によっては結構本格的だった、ぽい…
↑このころから私を司っていたものは『夜』と『月』そして………『うしみつどき』(笑)
その後「笑えない」と、知る事になるのですが、この話はまたの機会に。
しかも、これこそが【リーディング】だったと、この時はしるよしも無い。
おまけに『うしみつどき』に何からリーディングしたもんだか、すべてが怪しい。それでもやはり、
大人になると占う機会も無くなる事もあって
すっかり日の目を見なくなり
そのデッキは随分前にうちの猫ちゃんのマーキングの被害を受け
カードが、かわいそうだったと、今は思いますが
「無くなっても平気なもの」という事であっさりと処分いたしました。
それ以降、
カードとは縁のない生活を送っていたところに
なんと!今の友達から
「家にあったカードだけど多分ここに持ってくるのが一番いいと思って」
↑あまりの衝撃に言葉はもう覚えてないけど。突然カードをプレゼントされたのでした。
しかも、大アルカナと小アルカナのフルセットデッキ………。
「タロット」というカードの性質上
こちらの心の準備の都合でご遠慮させていただいたのですが
『いやぁ〜(^m^)』
と、含みたっぷりに置いてゆかれまして今は私のところにございます。
↑彼女自身にはそんなつもりは無いのだろうけれど
要所要所の私の分岐点で、恐ろしいほどストレートに本質を刺激する私の
数少ない大切な友達の一人。
それから、程なくして
このカードがやってきたのです。
もちろん、大小アルカナのフルセットデッキ。
4回も見送ったのに、私を待っていたカード。
↑
これ今思うと、私が本屋に行くたびにマーキングをしていたのだとわかるんです。
「呪をかけた」でも、いいでしょう。これで、買わなかったらカードに泣かれてたでしょう。
『呪を解いてから買うのやめてよ〜〜〜(T_T)』←目に浮かびます。
若い頃、無意識でかけていた『呪』は数知れない、と気付いた時の恐ろしさ\(゜ロ\)(/ロ゜)/
しばらくは解除作業に尽力いたしました。
この辺のお話も機会がござましたらその時に。
このカードデッキを手にしたのは多分3年ぐらい前じゃないかな、もっとかな。
あまりきれいなカードだったので額にして、絵画として
飾ろうかと思ったりしてたんだけど………普通に本棚で寝かしてました。
今までの長い間、いろんな占いを一通り自分で経験して
人生の分岐で二度ほど本業の方に占ってもらった事もあったのだけれど
その後
「自分に必要なもの」と「やらなければならないこと」と「本当に欲しいもの」は
『必ずやってくる』と言う仕組みがわかってからは
占う事の意味も、占ってもらうことの意味も、そしてそれまであった
『物欲』や『縄張り意識』と言いますか『所有権欲』といいますか、
そんなものまでも、いろんな角度から自分にはあまり必要無くなってしまってたので
気にならなくなりました。
それでも、久しぶりにカードが日の目を見た事に意味がありましたので
しばし、戯れてみようかと。
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