【今の人生は1回限り】と言うことも
子供ながらに何となく理解してました。

「中間の世界」のお話をするに当たって
いくつかの土台となる部分をざらりとお話させていただいております。

輪廻転生のお話につきましては
さまざまな条件化でいろいろ変わると思ってまして
深く話せばいろいろ話せるのですが、またの機会に。

そして、
その輪廻転生を私の中では

今居る場所この世

亡くなった方たちが居るあの世

違う人(でも魂は自分自身)に生まれ変わってまたこの世

といった感じでぐるぐる回っているという
認識となっております。

そして、さらにあの世にも
天国と地獄があって
この世での行いのいい人は天国に
悪い人は地獄にという
よく聞く因果応報のお話につながってゆきます。

天国や地獄に対してもいろいろな条件で
段階が分かれていたりしますので
一概には言いにくいのですが今回はここまでで。

そして、
子供のからこの世ではない世界に興味のあった私は
この不思議な感じを
誰に聞けば教えてくれるのかわからないまま
そういった本をたくさん立ち読みして
大人になったのでした。














 
この話を書き出すと
なにやらさらっとは書けない内容だった…などと今更ながら気付いたりして
何度も「その2」を書こうと試みては挫折してました。

思考の中にあることを文字にするには
『とてつもなく長い連載』になってしまうんだなと
ちょっと、足踏みしておりましたら1ヶ月近くたって降りました。



「中間の世界」とは
 
この世とあの世の「中間の世界」
実際にこれがあるかどうかも
私には分かりません。
霊が見えるとか、霊と話せたりするとか
そういうタイプでもございません。
ただ、そこに意識が行くだけでございます。


さて、
まずは何から話しましょうか。


この世とあの世の「中間の世界」の話をする上で
根底にあるのは『輪廻転生』の考え方。

輪廻転生と一口に言っては見ても、
宗教や、宗派の違いや、解釈の違いがあって様々な見解がございます。
ここに書くのはあくまで私の感じた考え方なので
それらとは相違がでてきますが【私個人の私感】ということで
ご理解いただければと思います。

輪廻転生とは
「死んだ後、また生まれ変わる」と言う考え方なのですが
子供の頃から「そうなんだ」と思っておりました。

ただ、生まれ変わるとはいっても

「私」が「すっかり同じ人生で同じ私」として生まれるわけではなく
「違う人」として「違う家族の一員」として生まれ変わり
「今の私と同じ人がまた生まれてくるわけでは無い」ということ

その場合「今のことも覚えていない」ということも漠然と思っていたので

【今の人生は1回限り】と言うこと
子供ながらに何となく理解してました。






 
写真は
亘理の街中の展望台から荒浜方面を見たところ。
教室と教室の間の時間で行ってまいりました。 
去年、亘理にご縁を頂いて足を運んだ「鎮魂の碑」
今年も行ってまいりました。
こちらブログで
ちらっと触れる事にしました。
2011年から特に感じてましたが
なぜだか私は
この世とあの世の「中間の世界」に焦点が合ってしまうようです。
子供の頃から、なぜか私には
輪廻転生の考え方があります。
これは小さい頃から宗教的なことを学んだからとか
そういう訳ではなく
「そういうもんだ」という漠然とした実感だけがありました。
小学生の頃には自分の中では当たり前のように根付いていて
人はこの世を離れても一度あの世に戻って
時間がたてば「誰か」になって
またこの地に戻ってくるのだと意味もわからず思っていました。
この手の話は子供ながらに
誰にでも話して良いことでは無いということも
漠然とわかっていて人には話しませんした。
だって、こんな話
小学生がしたって変わった子供ってだけですし
子供ながらにそう思われるということも
なぜか理解してました。
今思っても可笑しな話ですね。
大人の皆さん、
子供って、幼くても
実際のところ何考えてるかなんて分かりませんよ?(笑)
今でも自分は子供のままのような気さえする事もあります。
↑ さて、私の作品の中に
大地に降る前にという
2000年に作った作品がございますが
これがまさにその世界観を表現した作品になります。
もう16年も前の作品になるのですね。
あっという間ですね。
そしてその魂が生まれてくる何処かには
地上から還る魂もあって
いったり来たりしてるという風に感じている訳です。
長くなりそうですね
今日はここまで。
つづく。
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