芸術家がらすやのネタ帳ブログ私がらすやの製作を支えるネタや取材記録を
本家ブログ【芸術家への道】から独立いたしましてお送りいたします。

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ご無沙汰してます。 18:36

いろんなことがあって

記事の更新が止まってから

あっという間の月日ですが

更新したい内容の多さと

時間などの物理的な事情のバランスの中で

日常の方が手一杯になり

更新に時間をとれず相変わらずです。

 

そして、またこの季節がやって来ました。

 

落ち着いたらまた更新したいです。

取り急ぎ、元気でやってます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 精進 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by がらすや -
視点の違い 序章 天国と地獄について 09:44


【今の人生は1回限り】と言うことも
子供ながらに何となく理解してました。

「中間の世界」のお話をするに当たって
いくつかの土台となる部分をざらりとお話させていただいております。

輪廻転生のお話につきましては
さまざまな条件化でいろいろ変わると思ってまして
深く話せばいろいろ話せるのですが、またの機会に。

そして、
その輪廻転生を私の中では

今居る場所この世

亡くなった方たちが居るあの世

違う人(でも魂は自分自身)に生まれ変わってまたこの世

といった感じでぐるぐる回っているという
認識となっております。

そして、さらにあの世にも
天国と地獄があって
この世での行いのいい人は天国に
悪い人は地獄にという
よく聞く因果応報のお話につながってゆきます。

天国や地獄に対してもいろいろな条件で
段階が分かれていたりしますので
一概には言いにくいのですが今回はここまでで。

そして、
子供のからこの世ではない世界に興味のあった私は
この不思議な感じを
誰に聞けば教えてくれるのかわからないまま
そういった本をたくさん立ち読みして
大人になったのでした。














 
| 2015.3.11.に寄せて 視点の違い | comments(0) | trackbacks(0) | posted by がらすや -
視点の違い 序章  輪廻転生について 22:29
この話を書き出すと
なにやらさらっとは書けない内容だった…などと今更ながら気付いたりして
何度も「その2」を書こうと試みては挫折してました。

思考の中にあることを文字にするには
『とてつもなく長い連載』になってしまうんだなと
ちょっと、足踏みしておりましたら1ヶ月近くたって降りました。



「中間の世界」とは
 
この世とあの世の「中間の世界」
実際にこれがあるかどうかも
私には分かりません。
霊が見えるとか、霊と話せたりするとか
そういうタイプでもございません。
ただ、そこに意識が行くだけでございます。


さて、
まずは何から話しましょうか。


この世とあの世の「中間の世界」の話をする上で
根底にあるのは『輪廻転生』の考え方。

輪廻転生と一口に言っては見ても、
宗教や、宗派の違いや、解釈の違いがあって様々な見解がございます。
ここに書くのはあくまで私の感じた考え方なので
それらとは相違がでてきますが【私個人の私感】ということで
ご理解いただければと思います。

輪廻転生とは
「死んだ後、また生まれ変わる」と言う考え方なのですが
子供の頃から「そうなんだ」と思っておりました。

ただ、生まれ変わるとはいっても

「私」が「すっかり同じ人生で同じ私」として生まれるわけではなく
「違う人」として「違う家族の一員」として生まれ変わり
「今の私と同じ人がまた生まれてくるわけでは無い」ということ

その場合「今のことも覚えていない」ということも漠然と思っていたので

【今の人生は1回限り】と言うこと
子供ながらに何となく理解してました。






 
| 2015.3.11.に寄せて 視点の違い | comments(0) | trackbacks(0) | posted by がらすや -
2015.3.11.に寄せて 視点の違い  13:45
写真は
亘理の街中の展望台から荒浜方面を見たところ。
教室と教室の間の時間で行ってまいりました。 
去年、亘理にご縁を頂いて足を運んだ「鎮魂の碑」
今年も行ってまいりました。
こちらブログで
ちらっと触れる事にしました。
2011年から特に感じてましたが
なぜだか私は
この世とあの世の「中間の世界」に焦点が合ってしまうようです。
子供の頃から、なぜか私には
輪廻転生の考え方があります。
これは小さい頃から宗教的なことを学んだからとか
そういう訳ではなく
「そういうもんだ」という漠然とした実感だけがありました。
小学生の頃には自分の中では当たり前のように根付いていて
人はこの世を離れても一度あの世に戻って
時間がたてば「誰か」になって
またこの地に戻ってくるのだと意味もわからず思っていました。
この手の話は子供ながらに
誰にでも話して良いことでは無いということも
漠然とわかっていて人には話しませんした。
だって、こんな話
小学生がしたって変わった子供ってだけですし
子供ながらにそう思われるということも
なぜか理解してました。
今思っても可笑しな話ですね。
大人の皆さん、
子供って、幼くても
実際のところ何考えてるかなんて分かりませんよ?(笑)
今でも自分は子供のままのような気さえする事もあります。
↑ さて、私の作品の中に
大地に降る前にという
2000年に作った作品がございますが
これがまさにその世界観を表現した作品になります。
もう16年も前の作品になるのですね。
あっという間ですね。
そしてその魂が生まれてくる何処かには
地上から還る魂もあって
いったり来たりしてるという風に感じている訳です。
長くなりそうですね
今日はここまで。
つづく。
| 2015.3.11.に寄せて 視点の違い | comments(0) | trackbacks(0) | posted by がらすや -
突然ダウンロードin安達太良 その翌日 21:09


突然ダウンロードin安達太良
突然ダウンロードin安達太良 その2
突然ダウンロードin安達太良 その3
↑わずか2時間くらいの間の出来事



そして、
ここからはその翌日のお話。


気になったってた事を
一気に調べまくってみたりして
…ダウンロード再開 (T_T)

個人的に思うのですが…
自分の核コアに近づくタイミングを間違うと
平静、冷静、理性を失いかねないと思います。
いや?タイミングが間違ってないから
蓋が開くのだと思いますが。

ざわざわと血が滾る感が否めない…。

おまけに、決して自分の望む方向に行くとは限らない。
だからこそ
望む方向に向かうのに不要なものには「美しい蓋」
忘れた記憶の向こう側、遥か昔に蓋をしているのだろう。
滅多なことでは開くこともないし
状況によっては蓋があることさえ気付かないのだろう。

段階を踏んだからここまで来てるのだけれど。

こういうのを
自己開発とか、自己探求とか、内観とか、ルーツに還るとか
いろんな思想や見方で言い方や表現が変わるのだろうけど
私の思うところの内観やダウンロードは
今現在の意識体力がしっかりとしてないと
もう一人の自分の意識に振れるのだろうと
毎度の事ながら思う。

現在の意識と
魂と意識と肉体とを強固に繋ぐことが出来るような
鍛錬をするんだと思う。
こういう鍛錬をしているわけでもないのに
こういう経験を重ねる私は我にかえるたび
芸術家という職業についていてよかったと
心から思う瞬間。
すべての経験を糧にできる。
いや、突然
芸術家という職業を選んだのは
自分の意識がここまで来るための必然なのかもしれない。

仕事を長い期間継続して
いろんな経験をして深く掘り下げて、
やればやるほど思うのです。

突き詰めれば突き詰めるほど
オリジナリティや技術、技巧の向上とすべてを一回り、
するだけすれば
次は自己精神の鍛錬と
自分の本質に向かってゆく道が整う気がする。
芸術や芸能の根本を究極に司るのは自己対話では?
とさえ感じる。
『心・技・体』とはよく言ったもんだと思う。

私に欠けていたのは『心』
周りからは精神的に「強いよね」と、言われる一方
『精神的に弱い』から「強いのだ」な、と。
技も、体もある一定のとこまでは鍛錬で底上がる。
その、先は「心」が伴いさらにステージが変わる。
どこまでも、それの、繰り返し。
用意された心まで、再び技と体の鍛錬を要して
どこまでも螺旋を登る。

かく言う私も、
自分のオリジナリティがどのあたりにあるのかがわかったのは
そのあたりを飛び越えた後だという、自覚がある。

今生のうちに終わらせなければ。←何かはわからん。

今回の栃木出張の時
ホテルの部屋が「519」
ちょいと訳有りでルームチェンジで「419」
駐車場をかりたら「29」
カキ氷を頼んだら「19」
目の前を走る車が「末尾9」
「9」のオンパレードだったので
9について調べたら「人に尽くすこと」だそうで…。
「先生」っていう職種がぴったりではないか…(^^ゞ
宇宙の采配は見事だ。
『だから「先生だね」って言ったじゃない〜♪』
知ってか知らずか以前そんなことを言った人の
笑い声が聞こえるわ(笑)

「人に尽くすこと」

そして…ここまで書いて夜の教室がはじまりまして

その「人に尽くすこと」が『何か』を
この直後に
まったく予想もしていなかった展開で経験することになろうとは
このときはまだ知る由も無かった…





| 精進 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by がらすや -
突然ダウンロードin安達太良 その3 21:07


そして、

一息つきたくて
パークエリアを歩いていると
月が顔を出しました。

すでに高くなっており私に呼応する
月の表情ではなくなっておりました。
地を這う頃の大きな月がポイントのようです。
まるで狼人間みたいだ←違うけど。うん、それは解ってるのだよ。

さっきの逢魔時と共通事項ですね…(^^ゞ
夕方から元気なのとか夕方の神社にご縁があるとか
夜中に製作をするとか
良くないとか
そういうんでは、もはや無さそうで
そのへんもうみんな、ひとくくりですわ。

あぁぁ、身体が疲れた…
肉体って表現の方が近いのかもしれないな。
一つの体にもう一人の私と二つの意識の暴れ対話。

でも、メモったことでちょっと落ち着いたかな。

いつもは眠気との様子うかがいな一人の運転なんだけど
まさか、こんな展開になろうとは。

| 精進 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by がらすや -
突然ダウンロードin安達太良 その2 19:54


そして、

サービスエリアを出発してからすぐ
半分、雲にというか、闇に溶けたような
真っ赤なおおきな
今は秋だけど朧月のような月をを見て
感激すると同時にダウンロード加速。

懐かしく愛しく切ない
何かの扉が開いて
興奮と高揚と切なさでとても運転できる状況では無いと判断し
次のパークエリアで再び休憩。

私が月が好きなのも雪月花を
遥か彼方に想いを馳せて作るのも
きっとここにあるんだと
どんどんと核コアに近づく。

心臓を鷲掴みに握り潰される鈍い痛みをともないながら
その感情を受け入れる表明をする。
↑決して身体的動機息切れ目眩ではない、念のためご心配なく。

平静と冷静を保ち、車を止めるまで
とにかく
「わかったからちょっと待ってくれ」と
踊りだすとか絶叫したくなる自分に言い聞かし
ひたすら安全に車を運転することに専念する。
本当に毎度のことながら私の都合などお構い無しで困る。

とりあえず無事、車を停めて一息つき
そして、これを一気に書き留め、まずはほっとする。

今回の出張で、
なぜ車で移動するのかと言う話になってたけど
きっと、こういったダウンロードが
次回の作品に生きるのを知っているからなんだと
今更ながら認識する。

ついでに言えば、宮城県内を出る機会を持たない私が
年に一度、地を離れ他の地の影響を受けられる数少ない機会。

だからこそ一昨年のように
突然日光に行くことを促されたりすることに従ってみたりする。

向かえに停まってる大型トラックの運転席のカーテンが
今ほど羨ましく思ったことは無い。
現在、心臓をかきむしってのたうち回って叫びたい衝動を
何も無いような顔をして、タブレットをさわってるの図。

これほど強烈なの久しぶりだわ。
嬉しくもあり、明日の教室が心配でもあり。
アーティストと先生の狭間でバランスを要する
私にとって一番重点を置いてるところ。

せめて、明日まで、言葉を話せるようになっていますように。

スッゴク長くなってるっけど
まだ止まらないのもダウンロード中だから。
現行で、ガンガン入ってくる。




| 精進 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by がらすや -
突然のダウンロードin安達太良 19:50

美術展出展期間中の
高速移動時
安達太良まで来たときのことでした。

走行中、突然ダウンロードが始まったので
ちょっと休息&メモ。

山々が降りた帳に消えるまでの
好きだと思う穏やかな時は
黄昏時、とかではなく、どうも逢魔時らしい。
同じ刻を指すのだけれど
やはり違うらしい。

新しいカギは般若か、はたまた餓鬼か。
どちらにしてもその辺か。
何年か前に友と話した
牛の角や、悪魔の子供も思い当たる。
「鏡」はやはりカギのひとつ。
そして数年の間に変化したのは
鬼は鬼でも『角を返却した鬼』
というカギが一番近くなったようだ。

だ、そうだ。

ところで
『角を返却した鬼』って…なんだ?
帰ったら調べよう。

| 精進 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by がらすや -
山寺参拝 当日 08:33
 


当日は、いろんな偶然が重なって
予定より1時間半も早く出発することができました。

お陰さまで、たくさん楽しむことができました

到着後、まずは環境案内所に行って
地図を頂き、
生徒さんから教えてもらった杖を貸してくれるところを聞き
とても、調子のいい杖をそれぞれ選び
登山開始。


で、私はここで松尾芭蕉の
「閑けさや岩にしみ入る蝉の声」という句が読まれた句碑があると
その句の短冊をこの地に埋めて立てた石の塚が「せみ塚」と言われているとか
始めて知ることになったのです。

そして、その時
奉納演奏なのでしょうかね?
ふらりと男性が現れ、尺八で一曲演奏されまして
思わず、友人と二人聞き入ってしまいました。

今回の参拝は
なんという、偶然の祝福の多いこと。
こういうときは何も心配要らないと思っている私。

そして『山の支院』で休憩。



そして、ここで気づいたのでした。
前日、ネットで調べて

一番興味を引いた
『胎内堂』そして、地獄谷(行者戻)を越え、
『釈迦堂』から『宝珠岩』を見てみたかった…。


これは『胎内堂
ズームして撮ったのでピンボケですが。

このルートの入り口が『山の支院』のところにあり
残念ながら
『一般の方の入山を禁じます。』と、なっており
鉄の檻?柵?みたいにガッチリされていて
飛び越えて行くことは出来なさそうで
完全に隔離された
修行僧さんたちの修行の場のようでした。

行きたかったなぁ。

うん。注意書程度なら行っちゃう
私みたいなのが居るから
檻みたいなので、隙間もないほど
入山を拒むようにしているんだろうな、と
今回は、さすがの私も
あきらめてきました。

いつか、ご縁ができますように。
「宝珠岩」



つづく

| 神社・仏閣巡り | comments(0) | trackbacks(0) | posted by がらすや -
山寺参拝 序章 14:18


お友だちに誘われて山形県にある
『山寺』と呼ばれる宝珠山 立石寺に行って参りました。

実はお恥ずかしながら
『山寺』という言葉は、
よく聞くので知ってはいたのですが
だからといって
どんなところか、詳しくは知らず
しかも、近所にある神社と違わず
ふらりと立ち寄るくらいに考えていたので
誘ってくれた友人に
「トレーニングして備えるんだよ!」と
一ヶ月前から念を押されていても
何も、気にせず動じずでした。


そんな、前々日に
教室の生徒さんたちにも
気軽に「行ってくるね〜♪」ぐらいに話したところ

『え”〜!!登山ですよ?大丈夫ですか?』
『登山って登ったら降りてくるんですよ?!』

と、一斉に
日頃の運動不足を心配いただきいただき

帽子が要りますよ?
水も持って下さいね?
杖は下で借りれますから持っていってくださいね?
少しでも早い時間に登った方がいいですよ?
大丈夫ですか?
なんならちゃんと調べて行ってくださいね!!!

と……(笑)

知らないというのは最強ですね。
なぜ、こんなにみんなが心配してくれるのか……

その勢いに押されて
ネットを検索して始めて知ることとなりました。

写真は観光案内所で
いただいてきましたパンフレットなのですが
ネットで検索しても同じものが見ることができました。

お陰さまで
なぜ、皆さんに心配されるのかを事前に知る事となりました(笑)

でも、なぜでしょう……大丈夫♪

そう思ってしまっちゃったので、その後の心配は当日に任せて
ひとりで、地図の上から
釈迦堂から宝珠岩を見たいと
ワクワクしてたのでした♪

きっとここにご縁があって行くのだろうなぁって。


つづく









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